長女が大学のサークルでアルトサックスをはじめてから2年。
今年2月に引退しました。
ジャズのビッグバンドを組むサークルで、まったく初めての楽器を手にしてから、アルバイトもせず、練習を重ねて、ようやく一年生バンドでソロを吹けるまでになりました。
最後の引退ライブには、私は残念ながらイタリア出張で生音を聞けなかった。
けれど、私の変わりにライブに行ってくれた友人から、<涙が出たよ。。。>と、感動のメッセージが。
ラスト曲はワルツフォーデビー。
私が、最も愛するジャズナンバー。
長女は、このとき、1つの決意をしました。
サックスを吹き続ける!
最後のライブに向けて、本当に一生懸命練習した。
でも、納得のいく演奏ではなかった。
だから、決めたんだと。
自分自身の一生の趣味として、続けていく。
実は私、カウントベイシイというビッグバンドが大好きでした。
ただ、なかなか機会が無く、コンサートに出かけることができなかったので、いわゆるCDで音楽を聴くにとどまっていました。
けれど、娘が家の中でも様々なビッグバンドの音楽を聴くようになり、なんだか私も青春が戻ってくるかんじ。
この音が良いとか、この曲がすくだとか。そんな会話が増えてきました。
本当にたまたま偶然、私は12月30日、1月2日の2日間、あこがれのカウントベイシイのライブチケットを手にできたのです。
さらに、新しく就任したディレクターのサインを手にすることが!
彼のサインには
<KEEP PLAYING>と。
サックスを続けなさいという、娘へのメッセージ。
私は、この言葉が、私にとって強いメッセージであると、感じずにはいられないのです。
やり続ける。
ベーネをスタートして8年目に入る2012年。
本当に苦しいことが重なることもありました。
自分の体が1つしかないこと。
体は1つしかないのに、感情は複雑に、いくつもの人格が混ざり合います。
そしてどの感情も私にとって正しく、手放すことのできないものだと感じていました。
その中で、私が決して下してはいけない1つの判断があり、それが大きくのしかかり、重圧となり、心が痛いと、そう感じることがありました。
私には大切にしている詩集があります。
長田弘さんの<深呼吸の必要>という作品。
その中に、いつ、大人になったかというものがあるのだけれど、その一行。
<心が痛いと感じたとき>
そうだ、私は、大人なんだと。
心が痛いと感じ、心がどこにあるのか、はっきりとわかるのだから。
大人として、この心の痛みに耐えていかなくてはならないんだと。
私が下してはいけない判断、それは<やめる>ということ。
私が選ばなくてはならない判断、それは<やり続ける>ということ。
そう【KEEP PLAYING】
ジャズというのは本当におもしろい。
自由にスイングする。
サックスが、トランペットが、ベースが、ドラムが自由に自分の個性で旋律をアレンジして演奏する。
てんでばらばらに思えるその演奏が重なると、どうしてでしょう。
1つの完成され演奏になるのです。
個が立っているのに、自由奔放なのに調和が生まれる。
そして、スイングするんです、心も体も!
カウントベイシイのライブにのめり込みながら、そんな感情が私の心を覆っていました。
子育てをしながら仕事を続ける。
夢に賭けて、仲間と起業する。
家庭で、仕事で、感情で、能力で壁にぶち当たる。
負けそう、くじけそう。
でもねでもね、続けてこられた。
大切なものを手放さないでこれた。
それだけではなくて、大切なものがどんどん増えてきた。
それなのに、どんどん私は自由になっていく。
体は全力疾走や長距離走行になんかに、とうてい耐えられないほど弱ってしまっているけれど、なんだか心は走っているし、ロングランを続けている。
KEEP PLAYING
やり続けてきたから、手にできたのは、<自由>ということなんだ。
きまったルール、規制がある。
だからこそ、自由になれるんだ、自由を感じられるんだと、心から感じています。
ジャズにも決まりがある。
2.4でカウントするとか、音符に表裏があるとか。
その決まり、ルールの中で、個が際だつ。
個が自由に演奏をし、それが1つの演奏として融合する。
会社にも決まりがある、ルールがある。
その中で個が自由に自分を表現しているのに、
てんでばらばらになんかならないで、調和がとれている。
そんな会社に、私はベーネをしたいんだ。
そして、身も心もスイングするようなジュエリーを作り続けたいんだ。
そうKEEP PLAYING!!
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