高い感受性や天賦の才によって、誰もが「いいな」と思う「美の瞬間」を、マティスやボナールのように、とらえることのできた作家。
こう評される写真家ソール.ライター。
Bunkamuraで開催された写真展で、私は、自分にとっての珠玉の言葉の数々に出会ったのです。
【重要なことは、どこで見たとか、何を見たとかということではなく、どのように見たかということだ ーソール.ライター】
最近、私は友人と小旅行に行くにも各駅停車を選ぶようになりました。
急ぎ足で特急に乗って、現地でゆっくり遊ぼうとか考えていても、急ぎ足で現地につくと、急ぎ足で観光していて。
旅館に着くと、あそこもここもと、何か所も温泉を巡って、疲れて帰りの電車はぐったり寝ていたり。
もったいないな。
いろいろなものを見たくて、感じたくて出かけたのに、何も見ていないかもしれない。
そんな時に出会ったソール.ライターのこの言葉。
どのように見たか。
普段の、日常の普通の、ありきたりな風景や事象に宿るとびきり素敵な発見。
つやつやと光輝く緑の葉の、しっとりと湿り気を感じさせる白みを帯びた葉の裏側を見つけて、
カタリと音をたてて、何かいらないものが体の中から落ちていく感じ。
ただ1つのことを見つけて、どっしりと重いものが外れていった感覚。
【私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きていると思っている。なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ ーソール.ライター】
母が亡くなって3年目にして気がついたこと。
よく、<両親が言ったこんな言葉が、私にとって大切な言葉になっています。>といった番組を見るのですが、
そんなとき、はて、私は母に褒められたという、言葉を覚えてないぞ。記憶にないぞ。
おかしいな、きっと褒められて育ったはずなのに。。。
そんな私に、このソール.ライターの言葉が現れた。
なじみ深い場所で起きている。
そうか、母は、私を育てる時、私が褒めてほしいと感じている言葉で褒めてくれていたんだと。
だから、今、その言葉が自分の中で自分のものになっていて、母の言葉が私の言葉になったんだと。
言葉に神秘が宿ると感じる感覚。
【肝心なのは何を手に入れるかじゃなくて何を捨てるかなんだ ーソール.ライター】
先日、スタイルストのワコさんと対談。
お客様のクローゼットをチェックして、様々お話しして洋服の断捨離をするというお話で、余分な洋服を捨てると、残った洋服に新しい視点ができる、というのが印象的で。
そんな時に、またしてもソール.ライターのこの言葉。
これが手に入ったから、これはもういらないから捨てよう。
じゃなくて、何を捨てるかが先なんだと。
私は、かなり辛いことがあって、不安と恐怖の真っ只中にいた時期があったのだけれど、この不安と、この混とんとした気持ちを手放さないと、思考が停止しちゃう、と。
ちくしょう!と悪態ついて、ものに八つ当たりしたら、清々した。
そしたら、とたんに状況が変わった。
いらないものは、物だけじゃなくていらない感情だと体で知った感覚。
写真家ソール.ライターの言葉で私が手にした3つの感覚。
なんと、私の混とんとした気持ちを整理させてくれたことでしょう。
そしたら、また、この言葉。
【自分が今何を見ているのか確かでない時が好きだ。何故、私たちがそれを見つめているかが分からず、
ふいに見えはじめた何かを発見する。この混乱が好きなのだ。 -ソール.ライター】
(ベーネ銀座サロンオーナー 内藤千恵)
ソール.ライターの写真集<ソール.ライターのすべて>
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