<ローマ時代(プリニウスの博物誌)>
はっきりとダイヤモンドが文献に現れるのはローマ時代になってからです。プリニウスの博物誌(第37巻16章)では鉄鋼を含めて硬いもの全体を表現した「アダマス」という物質の一種として取り上げられ、その中で特にインド産のものとして、「透明で平滑な面が六つの角で出会っている。それは二つの反対の方向へその先端に向かって先細りになっており、その一番広い部分でくっつき合っている」(今日で言う正八面体の結晶)と明記されているのが文献に残る最古のダイヤモンドです。この説明の中にダイヤモンドの名前のもとになったアダマス( Adamas )は「征服し得ない力」を意味するギリシャ語に由来することが述べられています。この Adamas が変形して Diamas から、後期ラテン語ではDiamant になりました。仏語では Diamant 、オランダ語でも Diamant です。日本語のギヤマンはこのオランダ語 Diamant からきたもので、本来はダイヤモンドの意味ですが、ガラスの切り削りにダイヤモンドを使用したことから、今で言うカット・ガラスをギヤマン細工と呼び、さらにガラス自体をギヤマンというようになりました。
<ローマ時代からルネサンスまで>
ダイヤモンドのカットや研磨の方法を知らなかったローマ時代の人々にとって、ダイヤモンドは宝石ではなく正八面体の結晶(これは天然の鉱物としては、非常に珍しい)の持つ神秘性、そして何物よりも硬いという性質、それにはるか遠くの原産地であるインドから風に乗って伝えられた伝説などが色々に混じりあった、神秘的かつ呪術的な力なのでした。
ローマ時代の人々はこうした伝説的なあるいは呪術的な力を信じました。以降、カットの方法が確立して、その美しさが理解されるようになるまで十数世紀にわたり、ダイヤモンドは宝石の中でも低い扱いしか受けてきませんでした。例えば、ルネサンス後期の著名な金細工師であったベンヴェヌート・チェリーニは、ダイヤモンドをルビイやエメラルドより価値が低く、価格もルビーの八分の一以下と決めています。
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